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南砺市の観光名所と文化財


南砺市の国指定重要文化財
福野高校厳浄閣(がんじょうかく):富山県内唯一の明治期の学校建築。富山県立農学校の本館。明治36年建築。コロニアル様式で木造下見板張りペンキ塗り、正面玄関開き戸の飾り窓や半円形の欄干、二階屋根中央のゲーブルなどは、当時の地方の大工が独学で研究した和洋折衷2階建て建築の集大成です。現在は富山県立南砺総合高等学校福野高等学校の歴史資料の展示や、集会・講演会の会場として使用されています。平成9年国の重要文化財に指定。事前申込により、内部見学可能。
 
木造聖観音立像:約1300年前、養老2年(西暦718年)にインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)により開かれた、真言宗の古刹:安居寺(あんごじ、南砺市安居4941)の本尊。平安初期の作、カヤ材の一木造り。頭には宝冠をつけ、肘や腕にかざりのある見事な指輪をはめています。顔の形や耳はやや長く、目は切れ長で、口元は小さく、総体的に温和な顔立ちです。上体はやや前かがみで、足を踏み出しています。秘仏のため見ることは出来ません。
 
国重要文化財 岩瀬家:準5階建て合掌家屋の岩瀬家は、約300年前に越中の豪族、藤井長右エ門が8年の歳月を費やして建てたものです。間口26.4m(14.5間)、奥行12.7m(7間)、高さ14.4m(8間)、大黒柱30センチ角、24畳敷きの出居(=五箇山地方の各部屋の呼び名)は敷板を含め、全部ケヤキ材を使用しています。加賀藩政時代、塩硝上煮役であった岩瀬家(当時藤井家)は、区域の塩硝をとりまとめ藩へ上納する役宅でありました。藩の役人が宿泊したといわれる座敷には、土間及び式台があり、総体に木割が太く、材料の仕上げが精良であることなどから岩瀬家は五箇山地方の民家として最も発達した合掌造りの形式を示しています。
 
国指定史跡 高瀬遺跡:高瀬神社の南部に位置する高瀬遺跡一帯は、以前から須恵器(すえき)、土師器(はじき)などの土器類や銅銭の出土する地帯として知られていました。昭和45年(1970年)圃場整備工事中に柱跡が発見され、翌年より発掘調査が開始されました。柱根部の整然と並ぶ建物三棟を中心とした平安時代初期の荘園の役所の遺構が出土しました。昭和47年(1972年)古代荘園跡として、日本初の国指定の史跡となりました。この遺構は、当時この地方にあった東大寺領荘園の役所跡であろうと言われています。隣接した井波歴史民俗資料館では、数々の出土品の展示と年3回の特別展が行われています。また6月には、復元された水路に植えられた花菖蒲が咲き誇り、一層趣を添えてくれます。
 
南砺市の観光名所
世界遺産・五箇山
 
五箇山民俗館:菅沼合掌集落内にあり、現存する合掌造りの中でも均整のとれた家屋です。館内では先人の知恵が生かされた生活道具、民具が展示されており、昔の五箇山の生活様式を知ることができます。
 
いなみ木彫りの里創遊館:日本一の木彫りの産地、井波地域にある彫刻のアメニティ施設。大画面で井波地域の民話や自然を体感できるシアターや、若き匠たちの技を見学できる匠工房、彫刻やクラフト作りの体験が出来る「くりえーと工房」などがあります。
 
南砺市園芸植物園(フローラルパーク):キク及びキク科植物中心。植物との出会いや四季折々の花たちとの語らいを通して生活の中に花文化を取り入れ潤いと安らぎを創造する植物園。
 
愛染苑(あいぜんえん):昭和20年4月から昭和26年11月までの6年間、棟方志功(板画家)は旧福光町に疎開していました。その間に医王山や豊かな田園の輝き、小矢部川のせせらぎに耳を傾けながら、多くの作品を残しています。当時、棟方氏のお世話をされていた方が画伯の作品を町に寄贈され、記念館として設立されました。
 
城端曳山会館:城端神明宮の春の例祭に出る加賀藩の保護を受けた大工らの匠の技が光り輝く曳山や、粋な造りの庵屋台(いおりやたい)と伝統工芸品を一堂に見ることが出来ます。
南砺市城端579-3
 
利賀そばの郷:日本で初めてのそば資料館。世界のさまざまなソバの種子の展示をはじめ、歴史や民俗などの多彩な視点からそばの世界を伝えます。そば料理が味わえるほか、そば打ち体験が楽しめる施設もあります。
富山県南砺市利賀村坂上1193
 

 
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