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高峰譲吉


高峰譲吉(たかみねじょうきち、1854〜1922年、工学・薬学博士)
 1854年に山町筋(高岡市御馬出町:現高峰公園)に医師である父高峰精一と母幸子の長男として生まれました。母の実家である津田家(現横田町)は醸造業を営み、生まれながらにして父母の影響をうけて化学者への道を歩むように運命づけられていたようです。生まれた年に父は、加賀藩典医として招かれ金沢に赴任し、翌年母とともに金沢に移りました。
 1879年工部省工部大学校(東京大学工学部の前進)応用化学科を卒業、翌年イギリスに留学、1884年アメリカのニューオリンズ市万国博覧会事務官として渡米し、肥料等に活用されている化学の有用性を認識しました。帰国後の1886年に専売特許局次長に就任、1892年ジアスターゼの研究に成功、1894年タカ・ジアスターゼ特許を取得しました。1900年、牛の副腎からアドレナリンを結晶として得ることに成功するなど、多くの発明発見を行い、世界の医学・薬学の発展に貢献し、科学振興に尽くしました。
 高峰博士は、高岡市がアルミニウム産業に立地に有利であることを提唱しました。「急な川の多い富山県は、電源開発に最適の地である。発電所を作り、その電力を利用し高岡でアルミニウムの製造を行うとよい。高岡市の伝統的な鋳物技術を活かす事も出来る」。現在の高岡市は博士の指摘のとおりに、日本のアルミニウム産業の一大拠点となっています。
 また、アメリカで日本クラブ・日本協会を創設し、セントルイス万国博覧会の日本館「鳳凰殿」を「松楓殿」として残すなど日米親善に尽くしました。
 

 
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