ビューマリス城(ボーマリス城、英語:Beaumaris Castle、ウェールズ語:Castell Biwmares)は、イギリスのウェールズ北西部、アングルシー島ビューマリスにあり、1282年以降、エドワード1世による北ウェールズ征服作戦の一環として建設されました。城の建設計画はおそらく1284年に最初に立てられましましたが、資金不足のために延期され、1295年のマドグ・アプ・リウェリンの反乱後にようやく着工されました。建設当初は、聖ジョージのジェームズの指揮の下、相当数の労働者が雇用されました。しかし、エドワードのスコットランド侵攻により、すぐに資金が流用され、工事は中断されました。1306年に侵攻の恐れが生じた後にようやく再開されました。1330年頃に工事が最終的に中止された時点で、当時としては巨額であった総額1万5000ポンドが費やされていましましたが、城は未完成のままです。
ビューマリス城は、1403年にオワイン・グリンドゥールの反乱の際にウェールズ軍に占領されましましたが、1405年に王軍によって奪還されました。
1592年3月、ウェールズ出身のローマカトリック教会の司祭で殉教者のウィリアム・デイヴィスが城に幽閉され、1593年7月27日に絞首刑に処されました。
1642年にイングランド内戦が勃発した後、この城はチャールズ1世に忠誠を誓う勢力によって保持され、1646年に議会軍に降伏するまで持ちこたえました。1648年には地元の王党派の反乱に関与したものの、城は攻撃を免れ、議会軍によって守られました。しかし、1660年頃に廃墟となり、19世紀には邸宅と公園の一部となりました。21世紀においても、この廃墟となった城は依然として観光名所となっています。
歴史家アーノルド・テイラーは、ビューマリス城をイギリスにおける「対称的な同心円状の計画の最も完璧な例」と評しました。この要塞は地元の石材で築かれ、12の塔と2つの門楼によって守られた堀のある外郭を備え、その下には 2つの大きなD字型の門楼と6つの巨大な塔を持つ内郭がそびえ立っています。内郭は、2つの主要な世帯を支えるための一連の住居と宿泊施設を収容するように設計されました。南門へは船でアクセスでき、城への海上物資の直接供給が可能です。ユネスコはビューマリスを「ヨーロッパにおける13世紀後半から 14世紀初頭の軍事建築の最も優れた例」の一つとみなし、「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁(Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd)」の構成要素の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録しました。