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トレド
アルカサル
トレドのアルカサル(スペイン語:Alcázar de Toledo、英語:Alcázar of Toledo)は、スペイン 中南部のカスティーリャ・ラ・マンチャ州 トレド で最も高い場所に位置する石造りの要塞です。一辺が 60メートルの巨大な四角形の建物であり、その四隅には高さ 60メートルの塔がそびえ、それぞれの頂上にはマドリード様式特有の尖塔が設けられています。建物の大部分は、スペイン内戦中のアルカサル包囲戦を経て、1939年から 1957年にかけて再建されたものです。
アルカサル イメージ
アルカサル 歴史
3世紀にはローマの宮殿として使われていましましたが、10世紀、コルドバのカリフであるアブド・アッラフマーン3世の治世下で要塞へと改築されました。その後、1540年代にはカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)とその子であるスペイン王フェリペ2世によって修復が行われました。1521年には、アステカを征服したエルナン・コルテスがこのアルカサールでカルロス1世に謁見しています。その名称はアラビア語で「城」を意味する「al-qasr」(語源はラテン語の「castrum」)に由来しています。
アルカサル スペイン内戦
スペイン内戦中、ホセ・モスカルド・イトゥアルテ大佐(José Moscardó Ituarte、右派の反乱軍、ナショナリスト派)は、圧倒的な兵力を擁する共和国軍(左派の共和国人民戦線政府、ロイヤリスト派)によるアルカサルの包囲攻撃に対し、同建物を死守しました。この出来事はスペインのナショナリズムにおける重要な伝説となり、特にモスカルドの息子ルイスにまつわる逸話は広く知られるようになりました。共和国軍は 24歳のルイスを人質に取り、アルカサルを明け渡さなければ彼を殺害すると脅迫しました。電話で息子と短く言葉を交わして状況を確認した後、モスカルドはルイスに対し、「魂を神に委ね、「スペイン万歳(ビバ・エスパーニャ)」と叫び、英雄として死ね」と告げました。
モスカルドは降伏を拒否しました。当時の報道では、共和国軍が直ちにモスカルドの息子を殺害したとされていました。しかし、他の歴史家の報告によれば、ルイスが実際に銃殺されたのはそれから 1ヶ月後、「空襲への報復」としてであったとされています。こうした劇的な逸話の陰には、包囲戦の初期にアルカサルへ連行された多数の男性人質(主に治安警察「グアルディア・シビル」の隊員)の運命が不明であるという事実が隠されています。彼らについては「その後消息が途絶えた」とする資料もあります。一方で、包囲戦終結直後にアルカサルを訪れたあるジャーナリストは、地下室で手すりに鎖で繋がれた多数の捕虜を目撃しています。
アルカサルでの一連の出来事は、同建物をスペイン・ナショナリズムの象徴としました。また、内戦中に創刊された極右新聞「エル・アルカサル(El Alcázar)」の名称の由来ともなりました。同紙は、フランシスコ・フランコの死後に改革に反対したフランコ派の一派「ブンケル(Búnker)」の代弁者として機能し、スペインの民主化移行期に廃刊となりました。
包囲戦が終わる頃には、建物は甚大な被害を受けていました。戦後に再建され、現在はマンチャ地域図書館(Biblioteca Autonómica)および陸軍博物館(Museo del Ejército)が入っています。なお、陸軍博物館は以前、マドリードの「サロン・デ・レイノス(王の間)」に置かれていました。
アルカサル地図(Google Map)
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