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チューリッヒ
チューリッヒ フラウミュンスター
フラウミュンスター(ドイツ語:Kirche Fraumünster、英語直訳:Women's Minster)は、スイスのチューリッヒにある教会で、かつて貴族の女性のための修道院があった場所に建てられ、853年にルートヴィヒ2世(ドイツ王)が娘のヒルデガルトのために創建しました。ルートヴィヒ2世は、チューリッヒ、ウーリ、アルビスの森の土地をベネディクト会修道院に寄進し、修道院に免責特権を与え、自らの直接の管轄下に置きました。現在、フラウミュンスターはチューリッヒ州の福音改革派教会に属し、グロスミュンスター、チューリッヒ聖ペーター教会、プレディガー教会と並ぶチューリッヒの 4大教会の 1つです。
フラウミュンスター イメージ
フラウミュンスター 歴史
1045年、ハインリヒ3世は修道院に市場の開催、通行料の徴収、貨幣鋳造の権利を与え、事実上、修道院長を都市の支配者としました。
1218年、フリードリヒ2世は修道院に帝国中立権(Reichsunmittelbarkeit)を与え、これにより修道院は皇帝自身以外のあらゆる権威から領土的に独立し、修道院長の政治権力は増大しました。修道院長は市長を任命し、貨幣鋳造を市民に委任することも多かった。この絶大な権力を誇った時代に活躍した著名な修道院長に、ヴェツィコンのエリザベートがいます。
しかし、14世紀に入ると修道院の政治権力は徐々に衰退していった。その始まりは、1336年にルドルフ・ブルンがギルド法(Zunftordnung)を制定したことです。ブルンは修道院長の任命を受けない、最初の独立した市長にもなりました。
修道院は、最後の修道院長カタリーナ・フォン・ツィンメルンが支持したフルドリッヒ・ツヴィングリの宗教改革の一環として、1524年11月30日に解散されました。
修道院の建物は、新しい市庁舎建設のために 1898年に取り壊されました。現在、教会堂は市内の 34の改革派教区の一つである教区教会として使用されています。中世の街の中心広場であり市場であったミュンスターホーフは、この修道院にちなんで名付けられました。フラウミュンスター協会は、かつての女子修道院の伝統を継承しています。
チューリッヒ フラウミュンスター地図(Map of Kirche Fraumünster, Zürich, Switzerland)
地図サイズ:480ピクセル X 640ピクセル
フラウミュンスター シャガールのステンドグラス
修道院の聖歌隊席には、マルク・シャガールがデザインし、1970年に設置された 5枚の大きなステンドグラスがあります。5枚それぞれに特徴的な色が用いられ、聖書の物語が描かれています。左(北側の壁)から右へ、5枚の作品は以下の通りです。
- 預言者たち:エリヤの昇天を描いたもの
- ヤコブ:ヤコブの戦いと天国への夢を描いたもの
- キリスト:キリストの生涯の様々な場面を描いたもの
- シオン:天使が世界の終末を告げるラッパを吹く場面
- 律法:モーセが民の苦しみを見下ろす場面
同様に印象的なのは、アウグスト・ジャコメッティが 1940年に制作した、高さ 9メートルの北翼廊のステンドグラスです。
フラウミュンスター修道院 地下聖堂博物館
1900年の最後の改修以来、フラウミュンスター修道院の聖歌隊席下の地下聖堂は封鎖されていましましたが、2016年6月19日から一般公開されています。教会最古の部分は、チューリッヒにおける宗教改革によってローマ・カトリック教会の聖人崇敬が禁じられるまで、修道院の聖遺物を保管していました。地下聖堂の基礎は、修道院が創建された 9世紀にまで遡ります。地下聖堂には、チューリッヒの宗教改革の歴史、建築、そして地域史に関する展示も併設されています。マルチメディア情報システムを用いて、地下聖堂の基礎部分の断片や、ロマネスク様式から現在のゴシック様式へと教会がどのように再建されたかが紹介されています。この展示は、責任者である考古学者ドルフ・ヴィルト氏の案内で行われました。
フラウミュンスター地図(Google Map)
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