サン・クリストヴァン(ポルトガル語:São Cristóvão, Brazil、直訳すると「聖クリストファー」という意味)は、ブラジル連邦共和国北東部地域のセルジッペ州にある都市(自治体)です。1590年1月1日にヴァサ・バリス川の河口に設立されたこの自治体は、1590年に造られた街が起源で、ブラジルで 4番目に古い都市です。1607年に現在の場所(ヴァザ=バリス川 (Rio Vaza-Barris) 沿いの丘)に街が移され、セルジッペ州の中心都市(州都)となり栄えました(1855年以降はアラカジュが州都)。
サン・クリストヴァンは、歴史的な市街広場であるサン・フランシスコ広場と、初期植民地時代の数多くの建物で知られています。歴史的な街並みが保存されている旧市街地区(3ヘクタール(7.4エーカー))は、2010年に「サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場(São Francisco Square in the Town of São Cristóvão)」の名称でユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。
サン・クリストヴァンは 437平方キロメートル(169平方マイル)の面積を誇り、アラカジュとノッサ・セニョーラ・ド・ソコロに次いでセルジッペ州で 3番目に大きな集落です。人口は 91,093人(2020年推定、2011年統計では人口 79,955人)で、人口密度は 1平方キロメートルあたり 196.43人(508.8人/平方マイル)です。セルジッペ州では 5番目に人口の多い都市です。面積 436.86平方キロメートル(168.67平方マイル)、海抜 47メートル(154フィート)、南緯 11度00分54秒 西経 37度12分21秒です。サン・クリストヴァンには、1968年に設立されたセルジッペ連邦大学があります。
サン・クリストヴァン イメージ(ロザリオの聖母教会(Church of our Lady of the Rosary))
サン・クリストヴァンは、ポルトガル人によってセルジッペにおける最初の植民地化の試みの一つとして建設されました(当時、ポルトガル、スペイン、ナポリ王国はスペイン国王フェリペ2世の支配下にありました)。そのため、この都市はブラジルで 4番目に古い植民地化の試みとなっています。1590年、ポルトガルはクリストヴァン・デ・バロス(Cristóvão de Barros)を派遣し、この地域を植民地支配下に置き、サルヴァドールとペルナンブコの間に安全な貿易港を確立しました。デ・バロスは、ブラジルウッドの取引を行っていたトゥピナンバ族とフランス人の混血の人々からなる地元住民を迅速かつ暴力的に打ち負かしました。デ・バロスは勝利の象徴として、守護聖人である聖クリストファーにちなんで名付けられた小さな村を建設しました。その後、1608年にセルジッペ初のカトリック教区がサン・クリストヴァン教区が設立されました。サン・クリストヴァン勝利の聖母教区教会(Igreja Nossa Senhora das Vitórias de São Cristóvão)が教区教会として建てられました。17世紀後半まではセルジッペの唯一の教区でした。
町の発展はポルトガルの都市モデルに倣い、二つの計画、すなわち、行政・宗教権力の本部が置かれる高原都市と、港、工場、そして低所得者層が居住する低地都市(沿岸都市)の二つの計画に基づいていました。サン・クリストヴァンの経済は当初、肉、牛乳、皮革を生産するための牛の飼育に依存していました。この集落は 1637年にオランダ人によって完全に破壊されました。タバコとサトウキビのプランテーションは 17世紀に設立され、近代まで存続しました。
サン クリストヴァンは、1822年のブラジル独立時からセルジッペ州の州都となりました。
州大統領イナシオ・ホアキン・バルボーサは、1855年にセルジッペの首都をサン・クリストヴァンから海岸沿いのアラカジュに移転しました。サン・クリストヴァンは時代遅れで海岸から遠すぎ、成長する州のニーズを満たすために拡張できないと見なされていました。この遷都はサン・クリストヴァンの住民にとって「トラウマ的なプロセス」であり、その多くはアラカジュに住むために去りました。サン・クリストヴァンはゆっくりと衰退し、多くの建物が空き家になったり、放棄されたままになりました。
セルジッペの歴史的・文化的中心地としてのサン・クリストヴァンの重要性は、20世紀初頭に認識されました。国立歴史芸術遺産研究所(IPHAN、旧SPHAN)は 1937年に設立され、ブラジルの植民地時代の建築に関する大規模な調査を実施しました。調査対象となったサン・クリストヴァンの多くの遺跡は、1943年には早くも連邦記念物に指定されました。
1967年、この都市は植民地時代の建築を保存するため国定記念物に指定され、現在ではブラジルの 10の国家遺産がここにあります。重要な宗教建築物としては、サンタ・クルス教会と修道院(Church and Convent of Santa Cruz、1693年建立、サン・フランシスコ教会と修道院(Church and Convent of São Francisco)とも呼ばれる)、ミゼリコルディア病院と教会(Misericórdia Hospital and Church、サンタ・カーサ・デ・ミゼリコルディア(Santa Casa de Misericordia)、17世紀に建てられた慈悲の姉妹病院)、聖母マリアの無原罪懐胎礼拝堂(Chapel of the Immaculate Conception of Mary、1751年建立)、勝利の聖母教区教会(Parish Church of Our Lady of Victory、1608年建立)、そして18世紀に建てられたその他の重要な教会(黒人たちのロザリオの聖母教会(Church of Our Lady of the Rosary of Black Men)、守護の聖母教会(Church of Our Lady of Protection)、カルメル山教会と修道院(Church and Convent of Mount Carmel)など)が挙げられます。10の国定または州指定の遺産が市内中心部またはその近郊に位置しています。エンジェニョ・ポシムの聖母マリアの懐胎礼拝堂(Chapel of Our Lady of the Conception of Engenho Poxim)とエンジェニョ・イタペロアのナザレの聖母教会(Church of Our Lady of Nazareth of Engenho Itaperoá)の 2つは、現在では廃墟となっており、市内中心部から遠く離れたサトウキビ農園の中にあります。
サン・クリストヴァンの宗教的聖地は、ブラジルにおけるローマ・カトリック巡礼の重要な中心地であり続けています。サン・フランシスコ教会と修道院の宗教芸術博物館(Museum of Sacred Art of the Church and Convent of São Francisco)は、ブラジルで 3番目に重要な博物館とされています。
ブラジルにおけるサン・クリストヴァンの場所が判る地図(Map of São Cristóvão, Sergipe State, Brazil)
地図サイズ:480ピクセル X 440ピクセル
サン・フランシスコ広場(ポルトガル語:Praça São Francisco、英語:São Francisco Square)は、サン・フランシスコ教会と修道院、ミゼリコルディア病院(サンタ・カーザ・ダ・ミゼリコルディア)と教会、旧州庁舎といった植民地時代の建物や、それ以降の時代の建物に囲まれたオープンスペースです。この複合施設は、ブラジル北東部の典型的なフランシスコ会建築の良好な保存状態の一例です。3ヘクタール(7.4エーカー)の敷地は、2010年8月1日にユネスコの世界遺産に登録されました。この広場は、国立歴史芸術遺産研究所(IPHAN)の地域事務所と市役所によって管理されています。