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ニューデリー ジャンタル・マンタル
ジャンタル・マンタル(英語:Jantar Mantar)は、インドのデリー首都圏ニューデリーのコンノート・プレイスにある肉眼で観測できるように設計された18世紀前半に造られた天文台です。インドに 5つあった(内4つが現存)ジャンタル・マンタルの一つです。5つのジャンタル・マンタルの所在地は、このニューデリーの他に、ジャイプール(ラージャスターン州、Jantar Mantar、Jaipur、世界遺産)、ヴァーラーナシー(Jantar Mantar, Varanasi、ウッタル・プラデーシュ州)、ウッジャイン(Jantar Mantar, Ujjain、マディヤ・プラデーシュ州)、マトゥラー(ウッタル・プラデーシュ州、1857年に取り壊されて、現存せず)です。「ジャンタル・マンタル」とは「天空の調和を測る計器」を意味します。13の建築用天文計器で構成されています。
この遺跡は、ジャイプールのマハラジャ、ジャイ・シング2世(Jai Singh II、1688年12月3日生~1743年9月21日没、北インドのラージャスターン地方アンベール王国(ジャイプル王国)の君主、在位:1699年~1743年、ムガル帝国の政治家)によって1723年以降に建設された5つの天文台の一つで、暦と天文表の改訂に携わりました。1688年、この地域を統治していたラージプート王家に生まれたジャイ・シングは、天文学への強い関心を育む教育の時代に生まれました。ニューデリーのジャンタル・マンタル天文台の建造物の一つには、1910年に設置された銘板がありますが、これは誤って建造年を 1710年と記しています。しかし、その後の調査により、実際の建造年は 1724年であったことが示唆されています。高さは 723フィート(220メートル)です。
この天文台の主目的は、天文表を作成し、太陽、月、惑星の時刻と動きを予測することです。これらの目的の一部は、今日では天文学に分類されます。
1724年に完成したデリーのジャンタル・マンタルは、1857年のインド大反乱(1857年5月10日~1859年11月1日、東インド会社による統治への不満に端を発した反乱、結果としてムガル帝国の滅亡、イギリス領インド帝国の成立)までに大きく荒廃していました。ラーム・ヤントラ、サムラート・ヤントラ、ジャイ・プラカシュ・ヤントラ、ミスラ・ヤントラは、ジャンタル・マンタルを構成する個々の器具です。これらの建造物の中で最も有名なジャイプール・ヤントラも、19世紀末までに荒廃していましましたが、1901年にマハラジャ・ラーム・シンが修復に着手しました。
ニューデリー ジャンタル・マンタル イメージ
ニューデリー ジャンタル・マンタル地図(Map of Jantar Mantar, New Delhi, National Capital Territory of Delhi, India)
地図サイズ:440ピクセル X 560ピクセル
ジャンタル・マンタルへの最寄り交通機関は、ニューデリー地下鉄 ブルー線/イエロー線のラジブ・チョーク地下鉄駅(Rajiv Chowk)があります。コンノート・プレイスにあるラジブ・チョーク地下鉄駅からジャンタル・マンタル入口まで徒歩 8分(550メートル)、ジャンパト駅から徒歩 9分(650メートル)です。バスでは、281A/378/390番のジャンタル・マンタル バス停があります。
ジャンタル・マンタル地図(Google Map)
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