旅行のとも、ZenTech >
海外旅行 地図 >
アフリカ地図 >
モロッコ地図
マラケシュ地図
マラケシュ(フランス語:Marrakech、英語:Marrakesh もしくは Marrakech、ベルベル語: ⵎⵕⵕⴰⴽⵛ(ローマ字転写:Meṛṛakc)、アラビア語:مراكش
(ローマ字転写:murrākuš))は、モロッコ 中央部のオート・アトラス山脈の山麓にある都市で、マラケシュ=サフィ地方(2015年9月にマラケシュ=タンシフト=アルハウズ地方とサフィ州およびユスーフィーア州が合併して成立した地方)の首府となっている街です。マラケシュの人口は 928,850人(2014年現在)となっており、モロッコ国内ではカサブランカ とフェズ およびサレ に次いで4番目に大きな街です。標高 466メートル(1,529フィート)、北緯 31度37分48秒 西経 8度00分32秒です。モロッコの 4つの帝国都市(歴史的にモロッコの首都(王都)となった4つの都市(フェズとマラケシュとメクネス およびラバト ))の一つです。アトラス山脈の麓の西に位置しています。
このマラケシュは、モロッコではフェズに次いで2番目に古い街で、西暦 1070年頃、アブー・バクル・イブン・ウマルによってベルベル人最初のイスラム国家であるムラービト朝(アルモラビト朝、1040年~1147年)の首都として築かれました。ムラーヴィド朝は、この都市に最初の主要な建造物を建設し、その後数世紀にわたる都市の配置を形作りました。1122年から 1123年にかけてアリー・イブン・ユースフによって築かれた赤い城壁と、その後赤砂岩で建てられた様々な建物から、マラケシュは「赤い街」または「黄土色の街」という愛称で呼ばれています。東西 2キロメートル、南北 3キロメートルの城壁に囲まれた旧市街(メディナ)があり、「マラケシュ旧市街 」として世界遺産(文化遺産)に登録されています。また旧市街中心部にあるジャマエルフナ広場は「ジャマエルフナ広場の文化空間」として世界無形遺産に登録されています。
マラケシュは急速に発展し、マグリブ地域の文化、宗教、そして貿易の中心地としての地位を確立しました。衰退期を経て、16世紀初頭にサアード朝の首都として再び地位を築き、アブドゥッラー・アル=ガリブとアフマド・アル=マンスールの両皇帝が、数々の豪華な建造物で街を彩りました。17世紀以降、マラケシュは 7人の守護聖人が埋葬されていることから、スーフィーの巡礼者の間で人気を博しました。1912年、モロッコにフランス保護領が設立され、タミ・エル・グラウイがマラケシュのパシャ(太守)に就任しました。彼は 1956年のモロッコ独立と王政復古まで、ほぼその地位を維持しました。
マラケシュは、商人たちがひしめく古い要塞都市です。このメディナ地区はユネスコ世界遺産に登録されており、ジャマ・エル・フナ広場、数多くのスーク(市場)、クトゥビヤ・モスク、その他多くの歴史的・文化的遺跡が存在します。マラケシュは主要な経済の中心地であり、観光地でもあります。21世紀に入り、マラケシュの不動産開発とホテル開発は飛躍的に成長しました。マラケシュは特にフランス人に人気があり、多くのフランス人著名人がマラケシュに不動産を所有しています。
マラケシュには、メナラ国際空港と、カサブランカやモロッコ北部とを結ぶマラケシュ駅があります。マラケシュには、カディ・アヤド大学をはじめとする多くの大学や学校があります。ナジム・デ・マラケシュ、KACマラケシュ、ムルディア・デ・マラケシュ、シェ・アリ・クラブ・デ・マラケシュなど、モロッコのサッカークラブも数多く拠点を置いています。マラケシュ・ストリート・サーキットでは、世界ツーリングカー選手権、オートGP、FIAフォーミュラ2選手権のレースが開催されます。
マラケシュ イメージ(アグノウ門)
マラケシュの観光名所としては、マラケシュ旧市街(メディナ、世界遺産)、クトゥビア(マラケシュのシンボルとなっている高さ44メートルのミナレット)、ジャマ・エル・フナ広場、新スーク、スーク(世界最大ともいわれるスーク(市場))、皮なめし職人地区、ベン・ユーセフ・モスク、ベン・ユーセフ・マドラサ、マラケシュ博物館、クッバ・バアディン(12世紀のムラービト朝時代に造られたドーム型屋根の水利施設)、ムアサン・モスク、ムアサンの泉 / Fontaine Mouassin、伝統工芸館、マラケシュ史跡地区、アグノウ門(Bab Agnaou)、サアード朝の墳墓群、アル・マンスール・モスク(カスバ寺院)、エル・バディ宮殿、バイア宮殿、ダル・シ・サイド(19世紀のアラウィー朝時代に宮殿として建てられた建物、現在は工芸博物館)、ティスキウィン博物館(ベルベル人の生活文化をテーマとした博物館)などがあります。
マラケシュのホテルは、リヤド メルホーン & スパ、リヤド カーリアン、フォー・シーズンズ・リゾート・マラケシュ、ラ スルタナ マラケシュ、ラ・マムーニア、ソフィテル マラケシュ ラウンジ アンド ラ ヴィラ デ オランジェ ルレ&シャトー、ラ メゾン アラブ、ヒヴェルネージ シークレット スイーツ & ガーデン マラケシュ、オテル&リヤド アート プレイス マラケシュ、ル ホテル マラケシュ、リヤド K、リヤド ホヤ、ザ パール マラケシュ、リヤド エル アルサト、レジデンスス ドリエント ラグジュアリー リヤド & スパ マラケシュ、クサル アニカ リヤド マラケシュ、リヤド アンシャンテ、エス サディ マラケシュ リゾート パレス、リヤド イライカ、リヤド インフィニティー シー、リヤド カイス マラケシュなどがあります。
モロッコにおけるマラケシュの位置が判る地図
地図サイズ:480ピクセル X 360ピクセル
マラケシュへの交通アクセスは、飛行機ではマラケシュ=メナラ国際空港(Marrakech-Menara Airport)、鉄道ではマラケシュ駅(Marrakech Railway Station)、都市間バスでは長距離バス・ステーション(旧市街のドゥカラ門の外側)があります。
フランスのパリ からマラケシュまで飛行機で 3時間10分、リヨンから 2時間55分、マルセイユ から 2時間45分、スペインのマドリッド から 1時間55分です。
モロッコの最大都市カサブランカ からセタト を経由してマラケシュまで車やバスで 2時間40分(南へ道なりで 245km)です。サフィ からマラケシュまで車やバスで 2時間20分(東南東へ道なりで 160km)、ベニ・メラル から車やバスで 3時間(南西へ道なりで 195km)です。マラケシュからエッサウィラ まで車やバスで 2時間40分(西へ道なりで 180km)、アガディール まで車やバスで 3時間15分(南西へ道なりで 255km)、ワルザザート まで車やバスで 3時間45分(南東へ道なりで 195km)です。マラケシュからタンジェ まで飛行機で 1時間10分(直行便、2便/週)です。
マラケシュ地図(Map of Marrakech, Marrakech-Tensift-El Haouz, Morocco)
マラケシュの交通機関と観光名所
マラケシュの交通機関
マラケシュ駅 / Gare de Marrakech (Marrakech Railway Station)
長距離バス・ステーション(ガール・ルティエール):マラケシュ旧市街のドゥカラ門の外側
CTMバス乗り場
マラケシュ=メナラ国際空港 / Marrakech-Menara Airport:マラケシュ市街中心部から南西へ3.5km
マラケシュの観光名所
マラケシュ旧市街 (メディナ) / Medina:世界遺産
クトゥビア / Koutoubia:マラケシュのシンボルとなっている高さ44メートルのミナレット(ムーア様式の塔)、1192年完成
ジャマ・エル・フナ広場 / Place Djemaa el Fna:「ジャマエルフナ広場の文化空間」として世界無形遺産に登録
新スーク / Nouveau Souk:ジャマ・エル・フナ広場のすぐ北側にある地元の人向けの市場
スーク / Souk:ジャマ・エル・フナ広場の北に広がる世界最大ともいわれるスーク(市場)
皮なめし職人地区 / Quartier des Tanneurs
ベン・ユーセフ・モスク / Mosquée Ben Ypussef:12世紀にムラービト朝のスルタンであったアリ・ベン・ユーセフによって建てられたモスクで、現在の建物は19世紀なって再建されたものです。
ベン・ユーセフ・マドラサ / Medersa Ben Ypussef:1565年にサアード朝のスルタンであったアブダラー・アル・ガリブによって建てられたマドラサ(イスラム教の神学校)、1956年のモロッコ独立まで神学校として使用されていました。
マラケシュ博物館 / Musée de Marrakech:19世紀後半に宮殿として建てられた建物、1956年のモロッコ独立後にマラケシュ初の女学校の校舎として利用され、1997年に博物館となりました。
クッバ・バアディン / Koubba Ba'Adiyn:12世紀のムラービト朝時代に造られたドーム型屋根の水利施設
ムアサン・モスク / Mosquée Mouassin:16世紀のサアード朝時代に建てられたモスク
ムアサンの泉 / Fontaine Mouassin
伝統工芸館 / Ensemble Artisanal
史跡地区
アグノウ門 / Bab Agnaou:メディナの南側、王宮近くにある門
サアード朝の墳墓群 / Tombeaux Saadiens:サアード朝(1549年~1659年)の歴代スルタンが葬られている廟
第一の間:イスラム教の聖地メッカのある方向を示すミハラーブのある「ミハラーブの間」がある礼拝堂
第二の間:「12円柱の間」、サアード朝の最盛期のスルタン「アフメド・アル・マンスール」の墓があります。
第三の間:「3つのミハラーブの間」、アフメド・アル・マンスールの子供達や母妃ララ・メッサウダをはじめとしたサアード朝の王族の墓があります。
アル・マンスール・モスク(カスバ寺院) / Mosquée Al-Mansour (Mosquée de la Kasba):サアード朝の墳墓群の入口に建つミナレット(モスクに付属する塔)、1180年から1190年頃にムラービト朝のスルタン「ヤクーブ・アル・マンスール」によって建てられ、サアード朝のスルタン「ムーレイ・アムダラー」とアラウィー朝のスルタン「シディ・ムハンマド・ベン・アブダラー」によって修復されたと伝えられています。
エル・バディ宮殿 / Palais el Badi:サアード朝の最盛期のスルタン「アフメド・アル・マンスール」が25年の歳月を費やし造った宮殿跡、後のアラウィー朝(1660年~現在)のスルタン「ムーレイ・イスマイル」によって破壊され現在は廃墟となっています。
バイア宮殿 / Palais de la Bahia
ダル・シ・サイド / Dar Si Said:19世紀のアラウィー朝時代に宮殿として建てられた建物、現在は工芸博物館となっています。
ティスキウィン博物館 / Musée Tiskiwin:サハラ砂漠からモロッコに到るまでのベルベル人の生活文化をテーマとした博物館
メナラ庭園 / Jardin Menara:12世紀のムワッヒド朝(1130年~1269年)の時代に造られた庭園
マジョレル庭園 / Jardin Majorelle:1920年代にフランスのアールデコ画家ジャック・マジョレルが造園した庭園
ページ先頭 (モロッコ:マラケシュ地図)へもどる。
トップページ へ移動する。
Copyright © 1997-2025 ZenTech. All Rights Reserved