サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(イタリア語: Chiesa di Santa Maria delle Grazie、英語:Holy Mary of Grace(聖マリア・オブ・グレイセス))は、イタリア北部ロンバルディア州のミラノにある教会兼ドミニコ会修道院で、「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with "The Last Supper" by Leonardo da Vinci)」の名称でユネスコ世界遺産に登録(1980年)されています。修道院の食堂には、レオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」の壁画が所蔵されています。
ミラノ公フランチェスコ1世スフォルツァは、かつて聖マリア・オブ・ザ・グレースの聖母への信仰に捧げられた礼拝堂があった場所に、ドミニコ会修道院と教会の建設を命じました。主任建築家のグイニフォルテ・ソラーリが修道院(ゴシック様式の身廊)を設計し、1469年に完成しました。教会の建設には数十年を要しました。ルドヴィーコ・スフォルツァ公は教会をスフォルツァ家の埋葬地とすることを決定し、回廊と後陣を再建しました。これらは 1490年以降に完成しました。ルドヴィーコの妻ベアトリーチェは 1497年にこの教会に埋葬されました。
教会の後陣の設計はドナート・ブラマンテによるものとされており、1494年に納入された教会の丸天井の大理石片に彼の名前が刻まれています。しかし、彼が教会の建設に携わったかどうかについては異論もあります。ある資料によると、ブラマンテは 1492年から 1497年にかけて、交差部とドーム、翼廊後陣、後陣付き回廊の建設に携わったとされています。この資料では、建物の平面図と断面図もブラマンテの作品であるとされています。いくつかの文書にはアマデオという名が記されており、おそらくジョヴァンニ・アントニオ・アマデオと考えられています。この教会とアマデオが設計したサンタ・マリア・アッラ・フォンターナ教会には類似点が見られます。
1543年、身廊右側にある聖冠礼拝堂に、ティツィアーノ作の祭壇画「キリストが茨の冠を受ける」が設置されました。この絵画は 1797年にフランス軍によって略奪され、現在はルーブル美術館に所蔵されています。この礼拝堂には、ガウデンツィオ・フェラーリによる「受難物語」のフレスコ画が描かれています。聖具室に通じる扉の近くの、トリビューンに隣接する小さな回廊には、ブラマンティーノによるフレスコ画が飾られています。また、教会にはベルナルド・ゼナーレによる「復活と受難」を描いたフレスコ画もありました。
作曲家でチェロ奏者のジョヴァンニ・ペローニは、1718年から 1720年までこの大聖堂の楽長を務めました。
現在、ドナート・ブラマンテによって設計・建設されたサクレティア・ヴェッキア(旧聖具室)にはドミニコ会文化センター(Centro Culturale alle Grazie)があり、修道士たちが音楽コンサートや美術展のほか、精神性、哲学、芸術、文学、社会学に関するさまざまなテーマの会議を企画・主催しています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 イメージ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会地図(Map of Santa Maria delle Grazie, Milano, Lombardia, Italy)