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博物館島
ルストガルテン
ルストガルテン(ドイツ語:Lustgarten、英語:Pleasure Garden、直訳すると「快楽の庭園」もしくは「喜びの庭園」などという意味)は、ドイツの首都ベルリン中心部にある博物館島にある公園で、旧博物館の正面(南側)広場です。ベルリン大聖堂の西隣、再建されたベルリン宮殿(フンボルトフォーラム)の近く(北側)にあります。歴史上、この公園はさまざまな時期に、パレード場、大集会の場、公共公園として使用されてきました。
ルストガルテンのエリアは、もともと16世紀に、後のプロイセン王国の中核となったブランデンブルク選帝侯の邸宅であった宮殿に付属する家庭菜園として開発されました。17世紀前半の三十年戦争(1618年から1648年にかけて戦われた宗教的(カトリック対プロテスタント)・政治的(オーストリアのハプスブルク家対フランスのブルボン家)諸戦争)でドイツが荒廃した後、ベルリンはフリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)とオランダ人の妻、ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・ナッサウによって再開発されました。1646年、ルイーズは軍事技術者のヨハン・マウリッツと造園家ミヒャエル・ハンフの協力を得て、かつての家庭菜園を噴水と幾何学的な小道のある正式な庭園に改造し、現在の「ルストガルテン」と名付けました。
1713年、フリードリヒ・ヴィルヘルム 1世がプロイセン王となり、プロイセンを軍事国家に改造しようとしました。彼は祖母の庭を撤去し、ルストガルテンを砂で覆われた練兵場に改造しました(ブランデンブルク門近くのパリ広場とライプツィヒ広場も、このとき軍の練兵場として整備されました。)。1790年、フリードリヒ・ヴィルヘルム 2世はルストガルテンを再び公園にすることを許可しましましたが、1806年にフランスがベルリンを占領した際に、ナポレオンは再びここで軍隊の訓練を行いました。
19世紀初頭、国土が拡大し、富裕化が進んだプロイセン王国は、ベルリン中心部の大規模な再開発に着手しました。ルストガルテンの北西端には、著名な建築家カール・フリードリヒ・シンケルによって、新しく大きな古典的な建物である旧博物館が建てられました。また、1826年から 1829年にかけて、ルストガルテンはペーター・ヨーゼフ・レンネによって再設計され、正式な小道が公園を 6つの区画に分割しました。中央にある高さ 13メートルの噴水は蒸気機関で動いており、当時の驚異の 1つです。1871年、噴水はアルベルト・ヴォルフによるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の大きな騎馬像に置き換えられました。この像は 1871年6月16日に除幕されました。1894年から 1905年にかけて、公園の北側にあった古いプロテスタント教会は、ユリウス・カール・ラシュドルフが設計したはるかに大きな建物、ベルリン大聖堂(ドイツ語では「Berliner Dom」)に置き換えられました。
ワイマール共和国の時代、ルストガルテンは政治デモに頻繁に使用されました。社会主義者と共産主義者はここで頻繁に集会を開きました。1921年8月には、50万人が右翼過激派の暴力に抗議しました。1922年6月25日、外務大臣ヴァルター・ラーテナウが殺害された後、25万人がルストガルテンで抗議しました。1933年2月7日には、20万人がアドルフ・ヒトラーの新しいナチ党政権に抗議しました。その後まもなく、政権に対する公的な反対は禁止されました。ナチス政権下で、ルストガルテンは大規模な集会の場に変わりました。1934年、この広場は舗装され、騎馬像は撤去されました。ヒトラーはそこで 100万人もの人々が集まった集会で演説しました。
1942年5月18日、ヘルベルト・バウム(Herbert Baum、1912年2月10日生~1942年6月11日没、ナチス・ドイツへの抵抗運動を組織したドイツ系ユダヤ人)率いる主にユダヤ人の男女からなるレジスタンスグループが、ルストガルテンで行われたプロパガンダ展示会「ソビエト・パラダイス(Soviet Paradise、ソビエト連邦の「貧困、悲惨、堕落、および窮乏」を示し、ソビエト連邦に対する戦争を正当化することを目的とした展示会)」を破壊しようとしました。その結果、このグループは発見され、バウムはゲシュタポの拘留所で死亡し、少なくとも 27人のグループメンバーが処刑されました。「報復行動」として、帝国保安本部は 5月末に 500人のユダヤ人男性を逮捕し、その半数を即座に殺害しました。1981年にユルゲン・ラウエが作った記念碑がこのレジスタンスグループを記念して設置されました。
1944年、アルベルト・ヴォルフによるフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の像が溶解され、その金属は軍需生産に再利用されました。
1945年に第二次世界大戦が終わるころには、ルストガルテンは爆撃された荒れ地となっていました。ドイツ民主共和国(東ドイツ)はアドルフ・ヒトラーの舗装をそのまま残しましましたが、軍事的な印象を薄めるためにパレード広場の周囲に菩提樹を植えました。このエリア全体はマルクス・エンゲルス広場と改名されました。シティ・パレスは取り壊され、後にその一部にモダニズム様式の共和国宮殿が建てられました。
1990年にドイツが再統一されると、ルストガルテンを公園として以前の役割に戻す運動が始まりました。1997年、ベルリン市議会はランドスケープ・アーキテクトのハンス・ロイドルに、レネのデザインの精神でこのエリアを再設計するよう依頼し、1998年に建設作業が始まりました。現在、ルストガルテンには噴水があり、再統一されたベルリンの中心にある公園として再び機能しています。
ルストガルテン イメージ

博物館島 ルストガルテン地図(Map of Lustgarten, Museum Island, Mitte, Berlin, Germany)

地図サイズ:640ピクセル X 480ピクセル
ルストガルテン地図(Google Map)
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