カザン(ロシア語:Казань、英語:Kazan)は、ロシア連邦の沿ヴォルガ連邦管区タタールスタン共和国最大の都市であり、同国の首都でもあります。ヴォルガ川とカザンカ川の合流点に位置し、面積は 425.3平方キロメートル(164.2平方マイル)で、人口は 130万人を超え、首都圏には約 200万人が居住しています。カザンはロシアで 5番目に大きな都市であり、ヴォルガ川沿い、そしてヴォルガ連邦管区内で最も人口の多い都市です。標高 60メートル(200フィート)、北緯 55度47分47秒 東経 49度06分32秒です。
歴史的に、カザンはカザン・ハン国(Khanate of Kazan、1438年~1552年)の首都でしたが、16世紀にイヴァン4世(イヴァン雷帝、Ivan IV Vasil'evich、1530年8月25日生~1584年3月18日(グレゴリオ暦3月28日)没、モスクワ大公(在位:1533年~1547年)、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(在位:1547年~1574年、1576年~1584年))によって征服され、ロシア帝国の一部となりました。プガチョフの反乱(Pugachev's Rebellion、1773年~1775年)で占領され(そして大部分が破壊されました)、その後、エカテリーナ2世(Catherine the Great、1729年4月21日(ロシア暦)/5月2日(グレゴリオ暦)生~1796年11月6日(ロシア暦)/11月17日(グレゴリオ暦)没、ロマノフ朝第8代ロシア皇帝(女帝)、在位:1762年6月28日(ロシア暦)/7月9日(グレゴリオ暦)~1796年11月6日(ロシア暦)/11月17日(グレゴリオ暦)、夫は第7代皇帝ピョートル3世)の治世中に再建されました。その後数世紀にわたり、カザンはロシアの主要な産業、文化、宗教の中心地へと成長しました。1920年、ロシア連邦ソビエト社会主義共和国(SFSR)がソビエト連邦に編入されると、カザンはタタール自治ソビエト社会主義共和国(タタールASSR)の首都となりました。ソビエト連邦の崩壊後も、カザンはタタールスタン共和国の首都であり続けました。
カザンは、タタール文化とロシア文化が活気に満ちて融合していることで知られています。2023年には 400万人の観光客がカザンを訪れ、世界遺産であるカザン・クレムリンには 450万人以上の訪問者が訪れました。2009年4月、ロシア特許庁はカザンに「ロシア第三の首都」を自称する権利を与えました。2009年、カザンは「ロシアのスポーツ首都」に選ばれました。カザンは 2013年の夏季ユニバーシアードを開催し、2018年のFIFAワールドカップの開催都市の一つでもありました。また、2024年6月12日から 23日までBRICSゲームズも開催されました。選手たちは 27競技に出場しました。
カザン イメージ(タタールスタン国立博物館)
カザンの観光名所としては、世界遺産「カザン・クレムリン」、生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)、スュユンビケ塔、クル=シャーリフ・モスク、ペトロパヴロフスキー大聖堂、カザンの「全宗教寺院」、カザンの生神女修道院(イコン「カザンの生神女」が発見された場所)、ゾルタン・モスク、マルカニ・モスク、カザン市庁舎、タタールスタン共和国大統領官邸(1843年から1853年に建築、コンスタンチン・トーン設計、かつてのカザン県知事公邸)、スパースカヤ塔、カザン旅客駅(1896年築、赤レンガ造りの駅舎)、ミレニアム橋(カザンカ川に架かる長さ831メートルの斜張橋)、ボラク運河、カバン湖、タタールスタン国立博物館(National Museum of Tatarstan)などがあります。