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ウズベキスタン地図
ヒヴァ地図
ヒヴァ(ヒワ、ヒバ、ウズベク語:Xiva(Хива)、ロシア語:Хива、ペルシャ語:خیوه
、英語:Khiva)は、ウズベキスタン 西部のホラズム州にある都市で、ホラズム帝国とヒヴァ・ハン国(1512年から1920年、テュルク系イスラム王朝)の首都として栄えたオアシス都市です。ヒヴァのの人口は 115,000人(2021年現在、2017年時点では人口 89,500人)、郡レベルの都市です。北緯 41度22分53秒 東経 60度21分40秒です。考古学的資料によると、この都市は約 2500年前に築かれました。1997年、ヒヴァは建都2500周年を祝いました。ホラズム・ハン国、ヒヴァ・ハン国、そしてホラズム人民ソビエト共和国のかつての首都です。街は二重の城壁に囲まれ、内側の城壁囲まれたエリアは「ヒヴァのイチャン・カラ (Itchan Kala (Khiva) )」の名称で、ウズベキスタンで初めてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録(1991年)されました。天文学者、歴史家、博学者であったアル=ビールーニー(Al-Biruni、973年9月4日/9月5日生~1048年12月13日没)は、ヒヴァか近隣の都市カトで生まれました。
ヒヴァは二つの部分に分かれています。「ディチャン・カラ(Dichan Kala)」と呼ばれる外郭都市は、かつて11の門を持つ城壁で守られていました。「イチャン・カラ(Itchan Kala)」と呼ばれる内郭都市は、レンガ造りの城壁に囲まれており、その基礎は 10世紀に築かれたと考えられています。現在の銃眼付き城壁は 17世紀後半に遡り、高さは 10メートルに達します。
中心街広場にある大きな青い塔「カルタ・ミノール(Kalta Minor)」は、元々はミナレットとなるはずです。1851年にモハメド・アミン・ハーンによって建造されましましたが、ハーンが亡くなり、後継者によって完成することはありませんでした。
旧市街には、50以上の歴史的建造物と250棟の古い家屋が残っており、そのほとんどは 18世紀または 19世紀に建てられたものです。例えば、ジュマ・モスク(Djuma Mosque)は 10世紀に建立され、1788年から 1789年に再建されましましたが、その有名な多柱式ホールには、古代の建造物から移築された112本の柱が今も残っています。
ヒヴァには多くのマドラサ(教育施設、イスラム教神学校)があり、そのうちの一つであるシェルガジ・ハーン・マドラサ(Sherghazi Khan Madrassah)は今も残っています。18世紀に奴隷によって建てられたこのマドラサは、現在のヒヴァの中心地であるイチャン・カラで最も古い建物の一つです。このマドラサの著名な生徒には、ウズベクの詩人ラウナク、カラカルパクの詩人カシバユリ、トルクメンの詩人でスーフィーのマグティムグルイなどがいました。
ヒヴァ イメージ(イチャン・カラの西門)
ヒヴァの観光名所としては、イチャン・カラ(ヒヴァ旧市街、バフチャ・ダルヴァザ門(北門)、パルヴァン・ダルヴァザ門(東門)、タシュ・ダルヴァザ門(南門)、オタ・ダルヴァザ門(西門)、タシュ・ハウリ宮殿、アラクリ・ハーン・メドレセ、ジュマ・モスクとミナレット、イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット、パフラヴァン・マフムド廟、ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ、カルタ・ミナル、キョフナ・アルク)、コイ・ダルヴァザ門、ヌルッラバイ宮殿、アブダール・ボボ建築群、クブラ・ドザ・ボグ宮殿などがあります。
ヒヴァのホテルとしては、シェヘラザード ブティック ホテル、オルズ B&B、ホテル アジア ヒヴァ、ツークロ ブティック ホテル、アーカンチ ホテル、キャラバン ホテル、ユルダズ、ヒヴァ ファイズ ビーノ、ホテル ヒヴァ パレス、ホテル ニュー スター ヒヴァ、ホテル ヒヴァ パレス、イスラム ホジャ、ホテル エリキン パレス、モロス B&B ヒヴァ、ヒヴァ ビビマリヤ B&B、アート ハウス ホテル、ヒヴァ ユーロアジア ホテル、ホテル ベク ヒヴァ、ホテル ソドリク ラスルボーイ ゲスト ハウス、スルタン ホテル、ヨシュラール ホテル、マドラサ アミンクソン、ヒヴァ イースタン ハウスなどがあります。
ウズベキスタンにおけるヒヴァの位置が判る地図(Map of Khiva, Xorazm Region, Uzbekistan)
地図サイズ:500ピクセル X 370ピクセル
ヒヴァの街は、ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境地帯に位置(国境からヒヴァ中心部まで約8キロメートル)しています。ヒヴァには鉄道や空港がありません。ヒヴァから車で 45分の場所にあるウルゲンチ の
ウルゲンチ国際空港(Urganch xalqaro aeroporti (Urgench International Airport))やウルゲンチ鉄道駅(Urgench Railway Station)を利用することになります。
ロシアの首都モスクワ からウルゲンチまで飛行機(直行便、2便/週)で 3時間30分、サンクトペテルブルク からウルゲンチまで飛行機(直行便)で 4時間35分です。ウズベキスタンの首都タシケント からウルゲンチまで飛行機(直行便)で 1時間30分、ブハラからウルゲンチまで飛行機(直行便)で 55分です。
タシケントからサマルカンドとウルゲンチを経由してヒヴァまで車や長距離バスで 14時間(西へ道なりで 1,000km)、サマルカンド から車で 10時間10分(北西へ道なりで 705km)、ブハラ から車で 6時間40分(北西へ道なりで 460km)、ウルゲンチから車で 45分(南西へ道なりで 35km)です。
ヒヴァ地図(Google Map)
ヒヴァの交通機関と観光名所
ヒヴァの交通機関
ウルゲンチ行きトロリーバス乗り場とマルシュルートカ(乗合タクシー)乗り場
ウルゲンチ空港(アージェンチ空港) / Urgench Airport:ヒヴァ市街中心部から北東へ33キロメートル、地図外右上
ヒヴァの観光名所
イチャン・カラ / Itchan Kala:ヒヴァ旧市街、世界遺産
バフチャ・ダルヴァザ門(北門) / Bagcha Darvaza (North Gate)
パルヴァン・ダルヴァザ門(東門) / Palvan Darvaza (East Gate)
タシュ・ダルヴァザ門(南門) / Tash Darvaza (South Gate)
オタ・ダルヴァザ門(西門) / Ata Darvaza (West Gate)
タシュ・ハウリ宮殿 / Tash-Khauli Palace:アラクリ・ハーンが1830年から1836年にかけて建てた宮殿です。
アラクリ・ハーン・メドレセ / Allah Kuli Khan Madrasah:アラクリ・ハーンが1830年から1840年にかけて建てたメドレセ(イスラム教の神学校)です。周辺には同時期に造られたバザールとキャラバンサライがあります。
ジュマ・モスクとミナレット / Dzhuma Mosque and Dzhuma Minaret:多柱式建築のモスクです。10世紀に建てられ、増改築が繰り返され現在の姿となったのは18世紀末頃です。
イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット / Islam Khodja Madrasah and Islam Khodja Minaret:ヒヴァ最後のハーンであるイスフェンディヤル・ハーンの大臣イスラーム・ホジャによって1910年に造られた建物、ミナレットは高さが45メートルありヒヴァで一番高いミナレットです。
パフラヴァン・マフムド廟 / Pakhlavan Mahmud Mausoleum:ヒヴァの庇護者として尊敬されていたパフラヴァン・マフムド(1247年生 - 1326年没)の廟
ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ / Muhammad Amin Khan Madrasah:1852年に完成した中央アジア最大級のメドレセ(イスラム教の神学校)、広さは71.7m×60mとなっています。現在はホテルとして利用されています。
カルタ・ミナル / Kaltar Minaret:1852年にムハンマド・アミン・ハーンによって着工された未完成のミナレット(高さ 26メートル、基部直径 14.2メートル)
キョフナ・アルク / Kukhana Ark (Citadel Kunya-ark):17世紀に造られた「古い宮殿」という意味の名前を持つハーンの宮殿です。最初の宮殿はペルシャによって破壊され、現在の建物は19世紀初頭に再建されたものです。
コイ・ダルヴァザ門
ヌルッラバイ宮殿 / Nurullaboy Saroyi
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